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サンバの歴史(2)【初期のサンバと出稼ぎ難民】

サンバの歴史(2)
【初期のサンバと出稼ぎ難民】


北東部からの移民が持ち込んだサンバ・ヂ・ホーダやカンドンブレをルーツに、リオでサンバの形が整ってきたのが1910~20年ごろとされています。

そのころサンバでは有名人や権力、社会現象などを風刺することが流行だったらしく、「録音されたサンバ第一号」と言われるpelo telefone(電話で)では、最新の文明機器である電話を小道具に権力をおちょくるような歌詞が歌われています。

当時、モーホ(リオの裏山にある貧民街)で暮らす人たちが大手を振って街中を歩ける唯一の機会がカーニバルで、彼らは打楽器を手に思いおもいの仮装をして、生まれたばかりのサンバを歌いながら練り歩きました。

そのときパレードの許可を当局に申請する便宜上の肩書きがエスコーラ(学校)で、これが後々サンバチームを意味するエスコーラ・ヂ・サンバという名称に引き継がれるわけですが、もともとはサンバ学校の意味ではなく貧しい人たちの自主的な教育機関の名目であり、実際は炊き出しなどをする相互扶助団体だったようです。

ここで宇都宮けんじさんの活動を思い出します。

都市部のファベーラ(貧民街)に無許可に住み着いた出稼ぎ難民(多くは北東部出身者)に対する、当局による強制退去。これを繰り返し描いたサンビスタにサンパウロの作曲家アドニラン・バルボーザがいます。

彼自身は北東部出身者ではなく、郵便局員として生計を立てていたイタリア系移民の子孫ですが、saudosa maloca (懐かしのあばら家)やdespejo na favela(ファベーラの絶望)で、強制排除される貧しい人たちの悲しみを代弁しています。

(2013/5/2 シトロン稲葉)
Copyright (C) 2013 シトロン稲葉, All rights reserved.

← サンバの歴史(1)【親和性の回復】
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サンバの歴史(1)【親和性の回復】

サンバの歴史(1)
【親和性の回復】


サンバに限らずブラジル音楽には北米のジャズやブルースのような闘争的な表現は稀です。歌詞の内容だけでなく、演奏においてもソロ回しで拍手の量を競うような習慣はあまり見かけませんが、このことはブラジルの歴史や社会と関係があるように思います。

ブラジル人には純粋なアフリカ系、ヨーロッパ系、ネイティブ系は多くなく、大半の人が複数のルーツを持つ混血です。「肌の色の濃さ」による経済格差はありますが、北米のような人種差異を根底に持つ社会とは異なる高度なハイブリッド社会です。

毎年開かれるカーニバルで演奏されるサンバ曲(サンバ・ヂ・エンヘード)の歌詞は基本的にブラジルの歴史を扱った叙事詩で、奴隷として連れて来られたアフリカ人の悲しみ、無血革命の誇りと奴隷解放の喜びが繰り返し歌われます。

音楽的にアフリカとヨーロッパのミックスであるサンバは、当然その担い手も2つの人種の混血が多数派となります。

ここで重要なのが、エンヘードを歌い踊る人々の大半が為政者と奴隷、加害者と被害者双方のルーツを持っていることです。彼らは2つの意味で当事者であり、人種的な葛藤はそれぞれの人の中で昇華されなければならない。

だからサンバは闘争の音楽ではなく、親和性の回復の音楽でなければならないんです。

サンバ・プラネッタでは直接抗議よりも周知活動をより積極的にやっていきたいと考えているのも、このようなサンバの性質と関連しています。

(2013/5/2 シトロン稲葉)
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